こんにちは(`・ω・´)ゞ
今回はいつもの情報発信とは違い、私の海保になるまでの経緯を詳しくお伝えしようと思います。
海保というのは、海上保安庁関係者というくくりでありますので、海上保安大学校生になるまでですね。それをお伝えしようと思います。
一体どんな思想を抱いていた人が海上保安官を目指すのか、何がきっかけで海上保安官を目指していたのか。
そんな、幼いころのらいたをお伝えします。
Ⅰ WAS A KINDERGARTEN CHILDREN
私の幼稚園児時代ですね。
たいそう、変わって事のないごくごく普通の幼稚園児でした。
本当に普通の幼稚園児で、変わったところといえばほかの子よりも泣き虫で、人見知りで、怖がりだったということぐらいです(笑)
お母さんと離れるだけで、毎朝泣いて
先生が迎えに来てくれても人見知りで目も見れなくて
手を引っ張って教室に連れて行ってもらうだけで怖くて泣いていました(笑)
ただの結構ややこしい幼稚園児でした。( ´∀` )
I WAS AN ELEMENTARY SCHOOL STUDENT
小学生に上がっていてもなお、泣き虫は変わっていませんでしたが徐々に自我が出てきました(笑)
なので、友達に急に悪さをして先生に怒られることなど日常茶飯事でしたね。
やんちゃすぎてまた、親にはかなり迷惑をかけたと思います。
でも、こんなやんちゃな奴でも、生き物だけはかなり大事にしていたそうです。
急に捨てられている猫を拾ってきたり、カメがかわいそうだと急に持って帰ってきたりと、(笑)
親からすればだいぶ迷惑だったと思いますが、生き物に対する愛情は人一倍ありましたし、それは今でも変わっていません。
I WAS A JUNIOR HIGH SCHOOL STUDENT
中学生に上がってからは、かなりやんちゃなどは落ち着き、部活動に必死でした。その中でも、自分の中で自然と湧き出たものが一つあって、リーダーという存在になりたいと思っていました。
ただ単に、人前に立ちたい、支配したい。などの自分勝手な考えではなく。かなりの効率人間だったので、それ私がやった方が良くない?や、こうして、私がまとめることができたらもっと早く正確にできるのに、、など考えていました。
そして、生徒会長、キャプテンに抜擢していただきかなり頑張りました。
I WAS A HIGH SCHOOL STUDENT
高校にあがってからというか、中高一貫校だったのでたいして変化はありませんでしたが、同じように生徒会やキャプテンを務めているあいだに、将来も指揮するような仕事に尽きたいと、漠然と思っていました。
正直そんな仕事ないだろうと、だめもとで調べていたらたまたま海上保安大学校が出てきまいした。
でも、通っているのは県内有数の進学校です。え、どうしよう。海上保安大学校って言っても反対されるに決まっている。そう思っていました。
案の定、反対の嵐でした。
でも思春期の私は思いました。「はいはい、国公立の実績残したらいいんでしょ」
残しました。
すると、
君の将来は私たちが決めることではない、進みたい方へ行け。
( ´∀` )
さすが。 勝ちました。
なので大学校に進学することができました(笑)
以上です!
こんな感じで大丈夫でしたでしょうか。
なにか質問がある場合はいつでもどうぞ!
では、また次の記事で。
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